大晦日の夕景/元旦の風景
去年2024年は元旦の能登半島地震、2日の羽田空港での事故、そして同日、義姉の急逝という思いもしない事で始まった。・・・そして年末、クリスマスを過ごし、31日の大晦日を迎えた。
天気予報では年末・年始は寒さが厳しくなると伝えていた。大晦日は日本海側、玄界灘に面する福岡も朝から穏やかな晴天であった。・・・

夕方になり、日没の時間が迫ってきた。2階の机に座わる。西に開いた窓の向こうには香椎・照葉の街並み、その向こうに、博多湾、さらに奥に志賀島、能古島、糸島半島の山々が見える。
それらの景色の上に2本ほど細い雲が棚引いている。上空は晴れ渡っている。その空間を白い太陽が黄金のコロナ(冠)を輝かせてゆっくりと傾き落ちていく。それに伴って空は青色から萌黄色、黄色、橙色そして紅色から濃い赤色へと上から下へ次第に色彩が移ろっていく。見事なグラデーションである。
学生時代、薪火を囲みながら談笑しているとき、“私はお正月より年末の方が落ち着く”と言ったら、皆んなが“変わった奴だ”という目付きでいた。年末は慌ただしい時期である。しかし、その喧騒を離れると、普段とは違い実に静かな雰囲気がある。私は年末、帰省するときはほとんど奈良を巡った。暮れの古都の寺社は人影もまばらで、拝観者も稀で、実にゆっくりとまわれた。序でながら美術展に行くなら荒天の日に限る。観覧する人は少なく、並ぶ必要もない。
大谷選手の活躍、スポーツ界の朗報はあったが、どちらかと言うと、暗く重いニュースの多かった2024年だった。しかし、大晦日の夕方は美事な光と色彩のグラデーションが蒼穹の空を染めた。明日の晴天を約束し、新しい年への希望を示すかのような光彩を放ちながら、夕陽は彼方へと沈んでいった。その後も暫く紅色の残照が西の空を染めていた。
日本のほとんどの地方が晴天の元旦であった。家は立花山系三日月山の西麓にあるため朝陽が差すのは遅い。昨日、大晦日の夕景の美しさに誘われたのか、元旦は珍しく早く目覚めた。上空から西の空は明るんでいるが、未だ初日は差し出ていない。・・・やがて西の空、山の端近くが薄紅色の雲が棚引き、パステルカラーの色彩になった。それは、聖地旅行の折、死海東岸ヨルダン側から見た西岸、約束の地イスラエルの上空の光景に似ていた。暫くして照葉の高層マンションに陽が当たり、ゆっくりと照葉の街に、そして香椎の街へと陽差しは広がり、やがて近くの家並みも元旦の陽光に包まれていった。清冽な空気の元旦であったが、初日に照らされた風景は清々しく、明るく、暖かく、穏やかであった。そして何となく心まで温かくなるような気持ちとなった。
柔らかい初日に包まれた風景を見やりながら、ふと詩篇19篇を思い出していた。
天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。
しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。
神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。
太陽は、部屋から出てくる花嫁のようだ。勇士のように、その走路を喜び走る。
その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果てまで。
その想いを免れるものは何もない。
詩篇19:1~5

私は初日の光に包まれた風景を見ながら、特に6節を思っていた。「その熱を免れるものは何もない」(新改訳)/「何一つその熱から隠れるものはない」(聖共訳)/「物としてその和喣(あたたまり/暖まり)を被(こうぶ)らざるはなし」(文語訳)。私は文語訳聖書の言葉を口にしていた。すべての物、どんな人にも差し伸べられる温もりある主の御手、神の愛・いつくしみを表すかのようなやわらかくて優しい初春の陽光のあたたまりが、香椎の街を、福岡や日本、世界さらには宇宙を、さらには私の心を、世界中の人々の心を包み、温かくしてくれているように感じられた。
2024年の大晦日の夕景を想い、そして2025年の元旦の風景を思い、讃美歌を口ずさんだ。
山の端に日は落ちて、 夕映え色はあせゆく、
ひかりの主なる神よ、 われに伴いたまえ。
主いまさば夜は去り、 夜も昼と輝かん。
(讃美歌46番1節)
父の神よ、夜は去りて
新たなる 朝となりぬ
我らは今、み前にいでて
御名をあがむ
(讃美歌24番1節)