教会へのお招き

<目次>
1.「私が教会の門を叩いたわけ - 人生の嵐の中で」
2.「自分を生きるために」
3.「生きる意味を求めて」
4.「家庭と学校と教会がともに!」
5.「いのち与えることば」
6.「今だから…、家族を考えたい」

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お招き 2 「自分を生きるために」

「自分を生きる」とは?
 実は、その問いの意味はとても深いかもしれません。「生きる」とはただ存在しているというものではないでしょう。自分の価値と生きる喜びを見出し、人生の意義と目的を達成しようとする人生、それが「自分を生きる」人生と思います。

 誰もが持つ「3つの疑問点」
イ: 「私はどこから来たのか?
 ・・・母親の胎から生まれ出たということでなく、「私という人間が存在するに至ったのは何故か」という存在そのものに対する素朴な問い掛けです。
ロ: 「今、私は何をすればいいのか?
 ・・・「人生の目的」を問います。
ハ: 「死後、どこに行くのか?
 ・・・「死後
について問います。

 この3つの問いに答えられず、本当に悔いのない人生、終わりのない真実に楽しみのある人生を生きることができるでしょうか。果たして、「人生の意味・目的」がわかるでしょうか。大きな問題が人生に起った時に、そのような人生を生きていなかったこと、わかっていなかったことを思い知らされます。以下の、ある男性の証言の中にそれを見ます。


 3つの問いへの答えがわからないとき、どうすれば良いのか?
 まず、なぜわからなくなったのかその理由をはっきり知る必要があります。その理由は、私たちが、私たちの命と人生の創造者なる真の神を否定し、自分中心に生きるようになったから、と聖書は語ります。神を知らず求めず生き、生き方の根源になる部分がわからなくなってきているのです。
 そこで、神を知らず求めないで生きてきたことを認め、神様に立ち帰る必要があります。そして、神中心に生きると心定めた時、神を信じない人が神を信じる者にされているのです。

 生き方を変えたときに、3つの問いの答えがわかってくる。
イ. 「私はどこから来たのか?
 天地万物を造られた神様によって創造され、一人一人が価値ある命を与えられて、生きるようになりました。「尊い、神に愛されている存在」ということが分かってきます。
ロ. 「何のために生きるのか」
 「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(第一コリント10章31節)
 それは神の栄光のため。年若くても、お年寄りでも、体が強くても弱くても、病気でも健康でも、どんな人、誰でも、その生涯を用いて神の栄光のために生きることができるということがわかります。そして、この生き方が「喜び、平安、満足と充実」の人生だ、とわかります。
ハ. 「では、どこに行くのか?」
 地上の生涯を終えた時、神様が天国に入れて下さり、永遠に生きる者とされるのです。

 神を認めて生きる時に..
1) 私を愛し受け入れ、救い、導いて下さっている神様がいつも共におられるから、人生が楽しくなります。
2) 「本気でどんな小さなことでも神の栄光のためにする」ので、いい加減な人生を歩みません。
 そのように生きて、神様のためにしたことは全部評価され、天国にて豊かな報いとなって返ってきます。それが、主のお約束です。
3) 人生には意味があり、それをわかって生きているので、後悔がありません。
 神が共にあって導いて下さっているから、そして、出来事の一つ一つに意味があることをわかっているから後悔はないのです。
4) 人生のゴールは天国です。
 これがわかっているので勇気をもって生きることができ安心です。心配することはありません。 

 このような生き方をする時、「生きる」とはただ存在しているというものではなく、自分の価値と生きる喜びを見出し、人生の意義と目的を達成しようと自分を生きる人生に入られることでしょう。
 教会の敷居は決して高くはありません。まずはお越し頂いて、神の御言葉聖書から「自分を生きる」ことを真剣に考えてみませんか?
心からの歓迎を用意して、お待ち申し上げます。