教会へのお招き

<目次>
1.「私が教会の門を叩いたわけ - 人生の嵐の中で」
2.「自分を生きるために」
3.「生きる意味を求めて」
4.「家庭と学校と教会がともに!」
5.「いのち与えることば」
6.「今だから…、家族を考えたい」

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お招き 3 「生きる意味を求めて」

「すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから
わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。」
(新約聖書 マタイ福音書 11章 28-29節)


 人は明日への希望がなければ生きることはできません。幼い子供でも生きる望み、将来への希望を失えば、自らの命を断ってしまいます。
 幼い子供たちの自殺は、年々増加傾向にあります。その真の理由は、望みが断たれてしまうことであり、周囲が彼らに希望を与えることができなかったことによります。
 では、人にはどんな希望が必要なのでしょうか。

 第一に、生きる意味と目的への希望が必要です。
 「人生は、私たちが人生とは何かを知る前に、もう半分過ぎている」と、ある詩人は言いました。夢中で生きて、「人生とは」と考え始めた時にはもう半分過ぎてしまっているとの実感が溢れています。
 聖書は、人の生きる目的は「神を知ること、神を喜ぶこと、そして神の喜ばれる道を歩むこと」と教えます。真の神を知ることは、人に真の生きる望みを与えます。なぜなら、天と地を創造された真の神は人を創造され、これを愛し、一人一人固有の人生を計画され、大きく期待しておられるからです。
 どんなことでも、目的を持たないことは空しいことではありませんか。学ぶことにも、働くことにも、遊ぶことにおいても、目的がなければやりがいを失ってしまいます。目的を持たず大きな犠牲を払っても、やがて味わうことは失望と落胆ではないでしょうか。
 ある青年が「何のために勉強するのかわからない」と悩んでいました。
 「何のために勉強するの?」 「いい会社に入るためです」
 「それから?」 「いい給料を貰います」
 「それから?」 「美しい女性と結婚します」
 「それから?」 「出世します」
 「それから?」 「悠々とした老後を迎えます」
 「それから?」 「…」
 お墓が人生のゴールではないはずです。
 その青年は、聖書に触れキリストの愛を知った時、人は神によって造られ、この神のみこころを知り神の喜ばれる人生を送ることが人生の目的であって、決してお墓が最終ゴールではないことを知りました。そして、学びにも将来にも真剣に打ち込めるようになり、充実した喜びの人生に入りました。
 生きることは、多くの戦いがありますが、決して苦しい希望のない日々ではなく、神によって期待されている人生だということを知り、精一杯その期待に応えていくことができるのです。

 第二に、人生の問題の解決への希望が必要です。
 「人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちは、それをぺらぺらとめくっていくが、賢い人間は、念入りに読む。なぜなら、彼はただ一度しか、それを読むことができないことを知っているから」と、ある小説家が言いました。
 人生の苦しみの意味がわからなければ、苦しみを避けて通ろうとします。しかし、苦しみ悲しみなどの源となる様々な問題は、常に人の歩みにつきまとい、最終的には、別離の悲しみがやってきます。
 それでは、私たちの人生に起こる様々な問題は、いかに解決できるのでしょうか。それは、「道であり真理であり命である」イエス・キリストを知ることです。キリストの中にあらゆる問題の解決があります。

 イエス・キリストは十字架で死なれた後三日目に、死に勝利して復活されました。

 この生けるキリストにあってあらゆる問題に雄々しくぶつかっていくことができます。イエスキリストは、私たちが誰であっても、どのようであっても、いつでも私たちを受け入れて下さり、私たちの存在を喜んで下さいます。
 人はいつも、自らの心の叫びを聞いて下さり受け入れて下さる方を求めてはいないでしょうか。
 イエス・キリストは、招いておられます。
 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
  あなたがたを休ませてあげよう。
  わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、
  わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。」
   (マタイ11:28-29)

 人が苦しみを理解できないのは、人の内にある罪にその原因があります。
 罪とは、神を知らず、神のみこころから外れた的外れな生活を送っていることです。人はこの罪のため、死と永遠の滅びに定められているばかりでなく、生きているこの時も、不安や悲しみなど様々な問題を自らにもたらせているのです。
 神は人の問題の根源である罪の解決のため、神ご自身が人の形をとられ、この世に来て下さったのです。そして、十字架にかかられ、人の罪の罰の身代わりとなって死んで下さったのです。この十字架は、神の私たちへの無条件の愛を証ししております。この十字架にこそ、私たちの問題の解決があります。人がキリストのもとに行く時、人生の様々な問題の解決が与えられます。

 もし、あなたが、このキリストのもとに真剣に求めて来られるなら、必ず希望のある生活を送ることができるようになります。