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香柏

     まことのぶどうの木 わたしにとどまりなさい

田照一伝道師

2015年11月1日
ヨハネ15・1〜8/伝道合同礼拝

箱舟によって救われたノアは、ぶどう畑を作り始める(照創世記9・20)。ぶどうを産する土地は、肥沃な土地とされる。荒野のイスラエルの民に示された約束の地 (照申命記8・8)にも、ぶどうがある。そして神様は、イスラエルの民をぶどうの木に例えられるほどに愛された (照詩篇80・8〜9)。

神様はぶどう畑を丹精込めて整備され、そこに良いぶどうを植えられた(照イザヤ書5・1)。神様はご自身の民、イスラエルを愛され、「甘いぶどうのなる」ことを求められた。しかしイスラエルの民は、神様の求めておられるような実りに至らなかった。ぶどうは、中東の地域で古来より愛されている食物の一つである。そして神様はそのように人々に愛される植物を通して、ご自身の民に向き合ってこられた。ところがイスラエルはその愛に応えることができず、良いぶどうが質の悪い雑種のぶどうに変わった(照エレミヤ2・21)。それに対して、イエス様は、ご自身を「まことのぶどうの木」とおっしゃるのである。

この箇所は最後の晩餐での、イエス様からお弟子たちに対する説教の一部である。農夫は実を結ばせるために、枝を剪定し、手入れを行う。実を結ぶ枝であることは、イエス様が、神様が、お求めになられている(照15・16)。神様が選ばれた枝にあっては、実を結ばない要素は取り除かれる。実を結んでいるとしても、更なる収穫を期待されて、刈り込みがなされる。「あなたがた」と言われる。イエス様を救い主として受け入れている者に「もうきよい」と言われる。既に、イスカリオテのユダは闇に消えて行き、イエス様はこれから起こることを告げられ、かわるがわる質問するお弟子に、応えられる。イエス様は、全てをご存知であられた。ご自身のことばによって歩む者に「もうきよいのだ」とおっしゃる。「わたしにとどまる」、イエス様にとどまっていれば実を結ぶが、そうでなければ実を結ばない。このぶどうの木と枝との関係は語の順から、私たちがイエス様にとどまっているならば、イエス様もとどまっていてくださる、のだ。「実を結ぶ」の「実」は、神様の視点から求められる「実」であろう。その「実」を結ぶために、イエス様にとどまっているということが、何よりも必要とされる。人が、枝としてイエス様という、まことのぶどうの木にとどまり続けるならば、神様の視点によって多くの実を結ぶ。イエス様にとどまっていない枝は、投げ捨てられて枯れるとあり、イエス様は枯れた枝となるのではなく、ご自身にとどまり、生きた枝、神様に喜ばれる多くの実を結ぶことを求めておいでである。

「イエス様にとどまる」ということ、それは「イエス様のことばにとどまる」ということでもある。私たちの欲しいものとは、一体何か。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」(照8・31)。私たちは、この真理を知りたいと願うのではないか。それではこの真理とは何か。ピラトはイエス様にいった。「真理とは何ですか。」(照18・37〜38)イエス様にとどまるということ、このことを通して、私たちは「自由」にされる。イエス様にとどまることによって、私たちは真理を求め、「自由」になることができる。それはまた一方において、多くの実を結ぶこととなり、イエス様の弟子となることでもある。そしてイエス様にとどまっていることは、神様が栄光をお受けになるのである。


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