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香柏

     人として生まれた御子イエス

森山健也牧師

ルカ1:26〜38・ガラテヤ4:4〜5/アドヴェント第二主日/聖餐礼拝

神は、ご自身の像(かたち)に創造した人間アダムが堕落したとき、蛇サタンに「わたしはお前と女との間に、またお前の子孫と女の子孫との間に敵意を置く。彼はお前の頭を踏み砕き、お前は彼のかかとに咬みつく」と仰せになり、自ら皮の衣を作り、アダムとエバに着せてくださった(照 創世記1・26〜28/3・15、21)。以後、「神は、昔、預言者たちを通して、いろいろなかたちで、多くの仕方で先祖に語られました」(ヘブル1・1/例 信仰の父アブラハム、姦淫と殺人の王ダビデ、預言者ホセア)。

しかし、時が満ちると、神は御子を遣わし、この方を女から生まれた者、また律法の下に生まれさせました。それは、律法の下にある者を贖い出すためであり、また私たちが神の子の身分を受けるためです=iガラテヤ4・4〜5)。古い時代が完了し、神の定めた新しい時代の夜明けとなったのです。これは単純にローマ帝国による道路網の整備やヘレニズム文化の拡大によるギリシア語の国際化だけではなく、パウロは律法の下に隷属させられている人間への神の試みの時が満ちたことを言っているのです。

神は約束のようにひとりの男の子を、女から、律法の下に生まれさせられたのです(創世記3・15イザヤ9・6)。こうして神はこの終わりの時には、世界の創造者であり、万物の支配者・保持者である御子によって、私たちに語られました=iヘブル1・2/照マタイ28・18/ヨハネ1・1〜3)。「遣わす」は元の地位から任務を与えて派遣することです。神は、永遠・先在の神(ことば)である御子を「女から生まれさせ、律法の下にある者とされました」。霊である神が受肉されたのです。「キリストは神の身分でありながら、神としてのあり方に固執せず、ご自分を無にして、仕える者となり、人間と同じようになられたのです」(ピリピ2・6〜7)。

「それは、律法の下にある者を贖い出すためでした」(5)。律法は約束の子孫(照ガラテヤ3・16/創世記3・15)が来られる時まで、違反を明らかにするために付け加えられたものです。すべての人は律法の監視下に置かれ、罪の支配下に閉じ込められたのです(ガラテヤ3・22〜23)。キリストはこのような律法の下にある者を贖い出し(この言葉は身代金を払って捕虜や奴隷を自由な身にすることを表わす)、その人々を律法に対する隷属から解放し、神の子どもとしてくださるのです=Bこうして神は、肉のために無力となった律法がなし得なかったこと、即ち罪を取り除くために、御子を罪深い肉と同じ姿でお遣わしになり、その肉において罪を処断されたのです=iローマ8・3)。

私たちと同じ人となり、律法の下に生きられた御子イエスは疑いや不安、孤独や恐れ、死や、裁き等々に脅える私たちの間に宿る恵みと真理に満ちたお方です(照ヨハネ1・14)。「神は罪を知らないこのお方を、私たちの身代わりに罪となさいました。それは、私たちがこのお方にあって神の義となるためです」(Uコリント5・21)。こうして「キリストは私たちのために呪われた者となって、私たちを律法の呪いから贖い出すために」時満ちて、女(マリヤ)から、律法の下にお生まれになったのです。


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