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香柏

     私たちとともにおられる神

燗c照一伝道師

2015年12月13日
マタイ1・1〜25/アドヴェント第三主日/伝道礼拝

マタイの福音書の冒頭「アブラハムの子孫」「ダビデの子孫」とある。神様は、この子孫から、「イエス・キリスト」を起こされる。マタイでは、アブラハムからはじまり、ルカではイエス様からアダムへ遡る(ルカ3:38)。ルカはイエス様が神の子としてこの世にお生まれになった、ということを強調する(照 Tコリント15:45)。

マタイに視点を移すと、幾つかの気になる記述に出くわす。3節、ユダは意図した訳ではなかったが、子どもの嫁と関係を持ってしまい、その結果子どもが生まれる(創世記38章)。5節、ルツはモアブ人という、イスラエルから見ると異邦の民であった(ルツ4:12)。血統として、純粋なユダヤ人ではなかった。6節、ダビデ王は、信仰者として、国家を統率するリーダーとしても、ずば抜けた人物であった。そのような偉大な王であっても、ここに罪を犯したという現実が、明確に示されている(Uサムエル11章・照 詩篇51)。

この系図には、わざわざ人間としての失敗や異民族の流入や隠してしまいたい事実が書き込まれている。しかし神様は、そのことを示しつつもその系図を用いて、イエス様をこの世に送られる。神様のご計画は変わることなく、ダビデの系図から、王を起こされる(照 詩篇132:11・エレミヤ23:5)。

しかし相当の長い期間があって、イエス様がお生まれになった。神様がご計画になられることは、私たちの理解を超えたところにある。神様のご計画は、私たちの理解を超えて実現される(照 伝道者3:1)。神様は系図に示されているように、時を備えられた。この世は、系図にあるように人間の生活にある苦しみや悩み、悲しみや罪の現実がある。マタイの福音書に描かれる系図は、人間の苦しみや悩み、悲しみや罪の現実においてイエス様がお生まれになられる、ということを示している。

18節からイエス様のお生まれになる記述がなされる。神様のご計画は、ヨセフとマリヤが結婚するところで、聖霊がマリヤにはたらきかけてお生まれになられるという展開を取られる。神様はこの時を選ばれておられた。ダビデ王の位に着くとされる方は、イスラエル王国の王ということだけでなく、ご自分の民をその罪から救われる方とされる。そして23節の預言は、イザヤ書7:14にある。また同8:8・10に「神は私たちとともにおられる」という預言がなされている。

イエス様はこのように、人間の苦しみや悩み、悲しみや罪の現実においてお生まれになられる。そしてイエス様は、「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」であり、「神は私たちとともにおられる」ということを最後まで示されるのである(マタイ28:20)。これから私たちに、このような方が世にお生まれになるのである。


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