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香柏

     平和の君

田照一伝道師

2016年1月31日
イザヤ9・1〜7/伝道礼拝

イザヤは、ユダ王国の預言者であった。イスラエルの王国は2つに分裂し、軍事的に力の強い国々の中で揺さぶり続けられていた。軍事力や他国との駆け引き、そして他の神々を祀り、どんどん神様から離れていった。預言者は、神のことばを託され、命がけで神のことばを王やイスラエルの人々に伝える。

神様のことばに従わないこと、本日の9章の背景には、ユダ王国が周辺国の軍事行動に対して、神様よりも霊媒や口寄せといった者を用いていることが、厳しく問われている(照イザヤ8:19)。もとは一つであった北王国とユダ王国は、互いに争う関係となった。アハズは強国アッシリアに救援を求め、アッシリアは北王国の領土を攻撃する。イザヤの預言からおよそ700年後、ゼブルンとナフタリの地はガリラヤと呼ばれ、イエス様が宣教をなさった場所となる。「やみの中を歩んでいた民」「死の陰の地に住んでいた者たち」に光があった。神がこの世に光をもたらされ(照創世記1:3)、死と対比する生である光を与えられる(照ヨハネ1:4)。やみ、死は、誰しも避けて通りたい。しかし、誰しも避けることができない。そして生物的な死も恐ろしいが、心のやみ、魂が死んだようになっていることは、とても苦しいことである。人とは何者なのか。神様が人を、ご自身のかたちとして創造された。人間である以上、罪による死の呪縛から逃れられない(照ローマ5:12)。そこに「光」が与えられた。

「あなた」と「彼」とある。あなたとは、神様である(照士師記7:15-25)。彼の「重荷のくびき」「肩のむち」「しいたげる者の杖」を粉々に砕いたとある。これによって喜びと楽しみがある。みどりご、男の子が生まれることが告げられる。それは私たちのために生まれる、私たちに与えられる、とある。神様が、やみの中を歩んでいた民に、死の陰の地に住んでいた者たちのために、与えようとなさる。そのみどりごに対し、主権はその肩にあるとされる。この主権は、人間が与える物でも造り出したものでもない。そのみどりごの名として4つが記され、神様がご性質をもってこのみどりごを送ろうとしている。「不思議な助言者」とある。私たちは、罪の性質を負っている。そのような者に、神様ご自身が「不思議な助言者」を備えられる。

イザヤは今から2700年ほど前の、ユダヤの人々に語った。そしてイザヤの預言が更に明確となったのが、イエス様のご誕生である。神様はその誕生の700 年前に、イザヤを通して明らかになさった。そしてイザヤの預言はそれで終わったのか。そうではなく、今も実行されつつある(照イザヤ9:7)。

ではこの方は、神様がお与えになられた主権をもって、事を行われただろうか。イエス様のお姿は、叫ぶことも不満の声もあげず、力でもって何かを変えようとはなさらなかった(照イザヤ書42:1)。そればかりか、神様の僕として歩まれた(照イザヤ53章)。

「彼の重荷のくびき」「肩のむち」「彼をしいたげる者の杖」は、私たちがイエス様に負わせている(照イザヤ53:10)。このひとりごが、何のためにいらっしゃったか。私の罪を負い、背きのための罪をとりなしてくださった(照ローマ10:9)。この救いにこそ私たちの平安がある。



預言者イザヤとその時代についての牧師の解説:「イザヤの時代背景」

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