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香柏

     神の言葉は永遠に立つ

森山健也牧師

2016年2月14日
イザヤ40・8/冬季学び会「キリスト者として――この国で」

教会では2月11日の建国記念日/信教の自由を守る日(照 憲法20条/どんな宗教を信じるのも、信じないのも自由であること)に因んで冬季学び会を開催してきました。今日は「キリスト者として――この国で」との主題のもと、朝拝ではみ言葉が説き明かされ、午後には三名の方々の発表を聞き、私たちの歩みについて学びます。

イザヤは40章以後で、イスラエルの贖いについて主の計画を預言します。「慰めよ、慰めよ。わたしの民を」と「やさしく語りかける=口説く」(ホセア2・14)神の言葉で始まる40章は、バビロン捕囚の苦役が終り、祖国への帰還を約束する預言です。3節の荒野に呼ばわる者の声は、主イエスの公生涯に先立つバプテスマのヨハネに適用されています(照マタイ3・3他)。次いで、荒野の草花(自然)を通して、「人はみな草花のようだ。・・・・・・しかし、私たちの神の言葉は永遠に立つ」(6〜8)と語られます。「草は枯れ、花はしぼむ」との句に「今日は生えていても、明日は炉に投げ入れられる野の草」(マタイ6・30)を連想し、ここに無常観(例 方丈記、平家物語/伝道者1・2、12・9、13)を感じると言う人もいることでしょう。

日本最初の歌謡集である万葉集≠ノ自然をうたいきよし/さやけし≠ニ表現する歌が多いのは、自然がその奥に何か神秘的なるものとの連続性において捉えられ、人間を包み、慰めるものと考えられていたからであると言われます(例 田子の浦ゆうち出てみれば真白にそ不尽の高嶺に雪はふりける/山部赤人。考 何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる/西行法師 伊勢神宮に参り。パワースポット)。万葉集の編者で、万葉後期を代表する大伴家持に至ると、転じて人間の内面・精神を繊細にうたっています(例 うらうらに照れる春日にひばりあがり情悲しも一人し思えば)。万葉集≠謔130年後、漢字仮名交じりで書かれた古今和歌集≠ナは、はかなさ・もの憂さ≠多くうたっています(例 久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ/紀友則。花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに/小野小町)。そして日本人にとり、花と言えば桜で、そのこころを桜に託してはかなさや無常観を詠んできました(例 明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは/親鸞。比 願はくは花のもとにて春死なむそのきさらぎのもちづきのころ/西行法師)。

こうした精神・思想風土のこの国で、キリスト者として召され、遣わされ、置かれている私たちに、イザヤは預言しています。「すべての人は草、その栄光(力、美しさ、愛、誠実)はみな野の花のようだ。主のいぶきがその上に吹けば、草は枯れ、花はしおれる・・・・・・しかし、わたしたちの神の言葉は永遠に立つ」(6〜8)。そして、天地万物を造られた比類なき創造主(26、28)。また、この世の支配者たち(アッシリア、エジプト、バビロン等々)を砂漠の熱風で枯死する草花のように無に帰せられる歴史の主(23)を「見よ。あなたがたの神を」(9)と言います。この方こそ、自分の罪ゆえに失われた私たちを、慰めの良い知らせ・福音をもって回復してくださる良き羊飼いです。この私たちの神、主イエス・キリストの言葉は永遠に立つ。必ず実現する。この神が野の花の如き私たちに目を留め、よくしてくださるのです(マタイ6・30)。ですから私たちは、主は約束されたように再び力をもって来られることを待ち望みつつ、「キリスト者として、この国で」日々を歩んでまいりましょう。


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