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香柏

     すばらしい値うちの真珠

田照一伝道師

2016年2月28日
マタイ13・44〜50

本日はほんとうに大切なものを見つけた時、私たちはどうしたらよいのか、そして神様は価値を認められたものにどうなさるのか、について見ていきたい。

「天の御国は」のたとえは、「家の主人」(24節) 「パン種のようなもの」(33節)「畑に隠された宝」(44節)、そして「良い真珠を捜している商人」(45節)「海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網」(47節)とされる。マタイの福音書全体では、その他にも18章・20章・22章・25章で教えられている。

バプテスマのヨハネが「天の御国は近づいた」と前触れし(3:2)、さらにイエス様が宣教を開始なさって、天の御国について具体的に述べ始められる。それでは「天の御国」は何であろうか。13章では、人にたとえられたり物にたとえられている。その人の行動に込められている真意、物が自然に変化することや機能に注目されている。44節「天の御国は畑に隠された宝」とある。宝は隠されており、それは捜し求める(箴言2:3〜5)。価値があると知っているからこそ、喜びに満ちて手立てを尽くして、手に入れようとする。私たちは思いもかけぬところで、隠された宝に出会う(イザヤ45:15)。

まず「良い真珠を捜している商人」にたとえられる。商人の品物の目利きは確かである。良い真珠を求めている。模造品や偽物ではない。「すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者」は商人か、それともまた別の人だろうか。別の人ならば、畑の中に隠された宝を見つけた人と同じように読めよう。一方商人とすると、いかにその商人が真珠の値うちを認め、買おうとしているか。47節では、良いものと悪いものとをすわり込んで、一つ一つ選り分ける。悪い者がどのように取り扱われるか、についても記述されている。天の御国は、良いものをじっくりと選びわけたい、という思いがある。言い換えれば神様がそのようにお考えである。

天の御国は、人にとって「畑に隠された宝」であり、神様にとっては良いものを様々な手立てをもって捜して、正しい者を集めるところということになるだろう。そこで私たちはこういうのではないか「私は良い真珠でもないし、正しい者ではない」と。しかし値うちを認めて良い真珠であるとされるのは、私たちではなく、神様である(イザヤ43:4a)。

神様はこの真珠を行って、持ち物を全部売り払ってまでして、買い求められようとする(ヨハネ3:16・17)。イエス様は、ご自身が十字架にお架かりになられることをもって、私たちの罪を贖われた。それは私たちがイエス様を信じることによって、神様に受け入れられるようにしてくださるためである。イエス様は一匹の羊をも捜し求められる(マタイ18:12・13)。

天の父なる神様は、一人一人を愛され、すばらしい値うちのある真珠としてお求めになられる。それはもっとも大切になさっていることを差し出しても、求めようとしておられる。私たちは「隠された宝」を求め続ける中で、そのことに気づかされるだろう。

神様は隠れたところにおられたとしても、私たちの造り主である神様は、私たちのことをご存知であられ、私たちを求めておられるのである。


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