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香柏

     まむしのすえたち

田照一伝道師

2016年3月13日
マタイ12・30〜37/伝道礼拝

イエス様が「まむしのすえたち」とおっしゃる前に、バプテスマのヨハネが同じ呼びかけを言っている(3:7-9)。イエス様は彼らに何度も厳しい指摘をしておられる(23章)。パリサイ人がどういったことを言い、そしてイエス様は何を問題となさったのだろうか。本日はこのことを見ていき、私たちに振り返ってみたい。

30節、集めるとは何を集めるのか(照13:30・22:10)。イエス様はご自身の民を集めようとなさっている。31・32節、イエス様はパリサイ人が御霊の力によってあらわれた奇跡を、悪霊のものとして罵ったことを問題とされる。彼らは神様に従う者と自覚しておりながら、律法を都合の良いように解釈し、従うことを求めた。そして旧約聖書が預言していた救い主が、いまここにいらっしゃるのに、その方を受け入れようとせずむしろ悪霊呼ばわりした。これがどのような結果をもたらすのか。33節、「木のよしあしはその実によって知られる」とある。木の良し悪しが判明すると、良い木を残して悪い木は切り倒されて火に投げ込まれる(7:17-18)。

「まむしのすえたち」と言われる。バプテスマのヨハネが悔い改めよと告げ知らせ、イエス様も厳しい言葉を投げかけられる。これらはパリサイ人よ、自分の姿をよく見よ。自分で評価しているほど、神の前にあなたがたは正しくはない、ということであろう。根本的な問題は、「心に満ちていることを口が話すのです。」35節、何が良いと悪いとを分けているのか。良い人は「良い倉」、悪い人は「悪い倉」からそれぞれ物を取り出す。ルカの福音書6:45にも同じ記述がある。そこでは大勢の民衆に向けて話されている。パリサイ人にも大勢の群衆に対しても、イエス様は心のうちにあることを問題とされている。36節、さばきの日はいつなのか、それはわからない。しかしその日に明らかとされるのは、正しいか罪があるか、ということ。何をもってそのように判断されるのか、「あなたのことば」である。あなたのことばは、心に満ちていることにある。心のうちが問題とされている。イエス様は「まむしのすえども」と言われたパリサイ人に対して、厳しく言われている。それならば私たちはいつも、良い倉から良い物を取り出すように、ことばを守っているだろうか。イエス様はパリサイ人に限らず、人の心がその人を汚すことを教えられる(15:17-19)。私たちは自分を正しい者ですと、神様の前に堂々と言えない。

イエス様はパリサイ人をどう思われていただろうか。イエス様は、公の生涯でご自身の使命をご存知であった (16:21)。イエス様はパリサイ人に何度も厳しく対応なさった。それは彼らが、ユダヤ人の中で指導的立場にあったからこそ、彼らの間違いを改めさせようとなさった。「パリサイ人」にも個々の応答がある(マルコ12:28・ヨハネ3章・ピリピ3:5-6)。イエス様は、アブラハムの子孫に対して、熱心にあきらめずに悔い改めを求められた。そしてご自身が十字架にお架かりになられることで、神様の救いのご計画を成就なさった。それはアブラハムの子孫だけでなく、さらにご自身の名を求める者を招くためである。私たちはこのようなイエス様の招きにどのように応えているだろうか。心のうちの良い倉から良い物を取り出すように、応えているであろうか(ヨハネ15:4-5)。


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