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香柏

     自分の走るべき行程

田照一伝道師

2016年4月17日
使徒の働き20・18〜24

パウロの自己理解 (ピリピ3:5-6)」、その熱心さ(二テモテ4:7-8)、本日の聖書箇所からも、自分の務めを自覚し、熱心に取り組んでいたことがわかる。パウロは、信仰の旅路を、競技にたとえているようだ(一コリント9:24-27)。すると信仰の旅路というのは、アスリートのように自分自身に厳しく節制していくことが求められるのだろうか。本日は「自分の走るべき行程」について、ひととき考えてみたい。

本日の箇所は、パウロが3回目の伝道旅行からエルサレムへ戻る途中のところである。パウロは、ひとりのマケドニア人の幻を見て、マケドニアそしてギリシアまで足を伸ばすことにした(16:9)。第二次伝道旅行の時に、パウロはアジアに足を踏み入れた。パウロはそこでユダヤ人の会堂、つまり律法の教えを聴く所に入り、イエス様を伝えた(17:2〜3)その結果、幾人かはパウロの言うことを受け入れた。しかしねたみにかられた、ユダヤ人の妨害を受ける。20章3節においても、「ユダヤ人の陰謀」があったと述べられ、絶えず危険と隣り合わせであったパウロの伝道が窺える。

パウロは教会の長老たちを呼ぶ。教会のはたらきに責任のある者たちを集めて、自分の奉仕の仕方を語る。謙遜とは、神の前にへりくだる(エペソ4:2・一ペテロ5:5)ということである。謙遜は、涙を伴うものだった。パウロの流す涙はキリストを信じる者に対しての思いに満ちている(31節)。パウロは、あふれんばかりの愛のゆえに、コリントの人々へ向けて手紙を書く。神の前にへりくだる謙遜さとあふれんばかりの愛にある涙とで、教会に仕え、神さまに仕えたということを言っている(二コリント2:4)。パウロはいかに教会に仕えたか。イエス様を信じる者に対してと、イエス様を知らぬ、受け入れようとしていない者に対して、パウロは謙遜の限りを尽くし、涙をもって、数々の試錬に見舞われながら、神様に仕えてきたということを言っている。

そして今の心境を述べる。パウロの行いたいことではなく、パウロの心が何者かによって縛られているかのように、御霊がパウロをとらえて離さないように、パウロはエルサレムに上って行く。非常に厳しい展開が、パウロを待っている(21:4・21:11)。人生は最後まで、その人に与えられた人生の歩みを、生涯を送ることを、神さまは求められる。私たちそれぞれが神の恵みの福音にあずかった者としての自覚を、日々新たにさせられながらの歩みが大切である。「神に対する悔い改め」と「主イエスに対する信仰」とを生涯かけて完成へと歩みを進めていく。それは競技者のようにたゆまぬ努力や節制が求められもする。しかし、その原動力は、自分の罪を認めさせられ、「神に対する悔い改め」を求めるようになり、主イエスが十字架にご自身を架けられて罪を贖われたという喜びに満たされていることにある。これこそが、パウロを全力で走らせる原動力であり、使命であった。彼がいのちをかけて、神様から託されたこととして全力を注いだことであった。神様は私たちそれぞれを神の恵みの福音に導き入れてくださった。そしてそれぞれに神の恵みの福音をあかしする任務を与えられる。生涯をかけて、歩む歩調や進む速度はたとえ異なっても、それぞれに与えられた信仰の旅路を、一心に歩んで行こう。


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