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香柏

     神は霊です

高田伝道師

ヨハネの福音書4:21〜26/伝道礼拝

 当時のユダヤ人は、このサマリヤという地域に足を踏み入れることはなかった。しかしイエス様は「サマリヤを通っていかなければならなかった」(4:4)。サマリヤはかつてイスラエル王国の首都があった。ユダヤ民族は、北のイスラエル王国と南のユダ王国とに分かれた。一つの国が二つに別れ、イスラエル王国ではゲリジム山という山で神様を礼拝した。ところが北の王国が先に異民族に滅ぼされ、サマリヤに多民族の入植が進められた。その結果、北王国のユダヤ人は多くの民族との婚姻関係を結ぶこととなった。多くの民族の宗教が入り込み、かつて一つの民族として礼拝していた神様を見上げる民ではなくなった。南のユダヤ人は意識してサマリヤに立ち入らず、サマリヤ人と呼ぶようになった。サマリヤ人も、ユダヤ人が自分たちを見下して交際しないことを知っていた。

 サマリヤの女とイエス様とが出会ったのは、昼頃であった。近くには誰もおらず、イエス様が井戸のかたわらに腰を下ろしておられた。水汲みは当時の女性の家事労働で、通常朝方の涼しい頃に行われた。この女性はあえて、お昼の誰も水汲みに来ないであろう時に、水汲みに行った。その理由はあまり人に言いたくないこと、触れられたくないことがあった(4:18)。しかし一方で、日常生活を送るために水が必要であった。彼女は毎日の生活の中で、水汲み一つにも気苦労を覚えていた。                  

 一方イエス様は旅の疲れによって、喉の渇きを覚えていらっしゃった。イエス様はサマリヤの女に飲み水をお求めになられる。水を飲ませるかどうかの判断は、女にある。ところが女は、イエス様と会話をすることで「生ける水」を手に入れたい、と求めるようになる。与えることのできる者が実は求める者であったことが明らかとなる(4:15)。イエス様は彼女のあまり人に言いたくない、触れられたくないことをはっきりとおっしゃる。そのことで彼女は、イエス様がただ者でないことを知る。女はイエス様に礼拝について問う。神さまを心の内から喜んで礼拝に集いたいと思ったであろう。それは彼女が、イエス様と接することによって神さまを意識させられ、まことの神さまを礼拝したいという意識を持ったからである。神さまを礼拝するために正しいことは、一体どういったことであるのか(4:21-22)。この女の意識は、水汲みに来た時には思いもしなかった方向に進んだ。礼拝とは、神さまが人を創造なさり(創世記2:7)、アブラハムを始めとする人々が神様と親しく歩む中で、神様を礼拝(創世記17:3・18:2・19:1・24:26)することである。しかしイエス様は、あなたがこれまで聞いたことやしてきたことでなく、「わたしの言うことを信じなさい」とおっしゃる。

 特定された場所でなければ、礼拝を捧げられないということではない。イエス様は「そういう時」が来ます、と言われる。神様は真の礼拝者を求めておられる。するとこれまでの礼拝者のように、エルサレムや他の山で礼拝をすることを重視するのではなく、霊とまことによって神さまを礼拝することを大切にする者が、今求められている。それぞれが自分の思うように礼拝を捧げることが、「霊とまことによって」ということではない。「真の礼拝者たち」人数はわからないが幾人もいる。しかしそれぞれ「霊とまことによって」というところでは一致している。「神は霊です」とある。御霊によって新しく生まれること、御霊の働きは、風が吹くように私たちの目に見えず、私たちの予想しない働きをもたらす(3:5〜8)。それはつまり、サマリヤの女に働きかけられたこと。彼女はイエス様と偶然に出会い、自分が本当に欲していることを教えられた。イエス様を神の使者としてお迎えし、まことの神を礼拝することに心を向けられた。その一連の流れは、彼女が予想したことではなかった。彼女の行動に、また内面性に、御霊なる神さまが働いて下さった、御霊の導きがあった。御霊なる神さまは目に見えず、そのお働きが予想もしていないことをなさるのである(?ヨハネ4:3)。


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