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香柏

     働きの真価

高田伝道師

2016年6月19日
コリント人への手紙第一3・10〜17

 家を建てる人というたとえは、イエス様が何度かお話しになっている(マタイ7:24-27・ルカ6:47-48)。パウロは自分のことを「賢い建築家」と言っている。それは「与えられた神の恵みによって」とある。パウロは1章で、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」 という人々を批判した。パウロもアポロも、神様のもとでは用いられるしもべであって、大切なのは成長させてくださる神なのです、とする。パウロは神の協力者として、「植える」者、福音の働き手としての歩みをしてきた。パウロは一貫して、個人的な思いで福音の働きをしたのではなく、与えられた神の恵みによる賢い建築家として、建物の土台を据える働きをしてきた。イエス様が土台として据えられて、そこに家を建てる。しかし建て方については任せられている。

 建物を何で建て上げるか。建物を建て上げた働きが明瞭になる、とされる。明らかにする手段は火である。火は物を焼く。それぞれの建物が焼けずにのこるか焼けてしまうかということを明らかにする。建物を建て上げるのに、金、銀、宝石で建て上げなければ燃えてしまおう。しかし私たちは普通に考えてみて、誰もが金、銀、宝石で建てたい、建てているのだと思う。「その日」は火とともに現れて、各人の働きの真価をためす。建物は、各人の働きとして見られている。しかし本当に金、銀、宝石で建物を建てたかどうかは、その日、火が起こってみなければわからない。しかし建物が無事でも損害を受けても、両者とも土台は残る。

 神さまは、どういった働きの真価をお求めなのだろうか。私たちは、神さまから自分で建物を建て上げることを求められ、その建物は自分自身であるということを理解する。建物が残ることと焼けてしまうこと、ここに働きの真価がある。火が働きの真価を現している。火がどのような働きをするのだろうか。信仰の試練は、火が金属を精錬するというように理解される(?ペテロ1:7)。火は神様のご性質の聖さを表す(ヘブル12:28・29)。神様の聖さの前に、罪人である私たちは震え上がる(出エジプト記3:2〜6・19:18・イザヤ33:14)。土台はイエス様であるが、そこに根ざして何を建て上げるかは、私たち一人一人に託されている。それは混じりけのない信仰において、建物を建て上げるということであろう。しかしその働きの真価は、「その日」の「火」によって明らかとされる。

 ところが16節からは、「あなたがたは神の神殿」であるということが述べられる。私たちは建物が残っても焼けてしまったとしても、イエス様が土台ということに変わりはない。私たちは、それぞれが「神の神殿」とされる。一人一人が「神の神殿」とされる。それは「組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなる」(エペソ2:21〜22)のである。私たちは土台たるイエス様を覚えて、賢く建物を建て上げたい。その結果は火によって試されるが、それでもなお、私たちは互いに働きかけられた御霊を覚えて、互いをいたわり、愛し、支え合って行きたい。


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