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香柏

     偽ることのない神

高田伝道師

2016年7月10日
テトスへの手紙 1・2〜3/伝道礼拝

 時の経過とともに季節が必ず移ろっている不思議さ、季節が変わっていくということから、自然の摂理が変わらずにあることを知る。私たちは、必ず春夏秋冬が巡っていくということに信頼して、人生を送っている。いのちを与えられて、今という時間の中で生かされている。季節の移ろい一つをみても、いのち与えたものを生かそうとする意志を、私たちは感じる。

 さて本日の手紙は、パウロがテトスに対して、教会内で色々や指示や注意するべきことを述べている。手紙の冒頭、パウロは自分を「神のしもべ」と言い「イエス・キリストの使徒」とも言う。パウロは自分のことを神のしもべと言っておりながら、同じく神のしもべである者達を教え・指導しようとしている。

 パウロは神さまをどのように認識しているのか。「偽ることのない神」という。そもそも神さまに対して、「偽る」という言葉を用いることがふさわしいのだろうか?「偽る」という言葉、本物の反対は偽物である。聖書では「偽善者」という言葉をよく耳にする。イエス様は「偽善」を嫌われる(ルカ12:1・2)。そこには、善いことをしているように見せかけて、実際のところは、隠された何かがある。善いように見せかけておいて、心の内には公にできない、したくない思いがあることがわかる。人は誰しも、「偽善」を行い、容易に偽ることができる。

 「偽る」ということは、モーセの十戒、第9戒でこう教えている。「あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。」神様は、人間と人間との間において、偽りがないようにと言われる。イエス様は偽証によって訴えられ、取り調べられても十字架刑で死刑になるようなことは見つからなかった。色々と不利な証言をされても一言もお答えにならなかった。イエス様は死に当たる罪は見つからないので、釈放されようとしたが、人々はイエス様を十字架につけるように大声で要求し、そして十字架につけた。人の心にあることは、たとえ禁じられても色々と理由や理屈で「偽って」、自らの思いをなそうとする。人は心のうちにある思いは、神さまの目から見られた時に、「いつも悪いことだけに傾く」(創世記8:21)。しかし神様は、人の心が悪であることで、大洪水ですべての生き物を滅ぼしてしまうようなことはなさらないとされた。また地上で、四季の移ろい、一日の運行は止むことがないとおっしゃった。生物の成長や気候の移ろい、日の運行を続けられることを、ご自身にかけておっしゃった。

 「偽る」ということは、人間において当てはまる。人が人に対して、そして人が神に対するとき、「偽り」が問題となる。神さまは人に対して偽ることはなく(Uテモテ2:13)、イエス様を否まずに受け入れ、ともに生きようとした者たちのためにいらっしゃる。パウロも大胆に証しする (Tテモテ1:15-17)。

 イエスさまは、神の御子として世に来られた。御子は、万物より先に存在し、万物は御子にあって成り立っている(コロサイ1:16〜17)。神の御子であるイエス様は、父なる神様の御心を成し遂げるために来られた。父なる神さまの御心とは、永遠のいのちの望みに基づくことに、私たちを与らせる(Uテモテ1:9)。

「偽ることのない神」は、永遠の昔から約束してくださった、永遠のいのちの望みをもって、私たち一人一人を愛していてくださるのである。


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