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香柏

     よりすぐれた賜物を

高田伝道師

2016年7月24日
コリント人への手紙第一 12章28節〜31節

 日本語で賜物とされている言葉は、ギリシア語で「カリスマ」という言葉である。どちらの言葉にも共通しているのは、後で身につけたというよりも、最初から与えられている特別な才能。神さまから与えられた特別な何か、ということであろう。聖書で才能といえば、「タラント」という言葉がある。この「タラント」も神さまから与えられている(マタイ25:15)。この「タラント」という言葉は、そもそも量られた重さを表す意味がある。高価な貴金属や材料の目方を表す単位として、昔から使われていた言葉である(出エジプト38:27)。イエス様のたとえでは、神さまから預けられたものに、量にかかわらず忠実に用いることを教えている。一方で「カリスマ」という言葉は、新約聖書で登場する。この言葉が登場する際には、「御霊」が賜物を与えられたのだということがわかる(Tコリント7:7;12:4)。この賜物は、神さまからの恵みとして与えられた。私たちが努力して身につけたということよりも、神さまが一つ一つの賜物の種を蒔き、成長させ、大きくしてくださった。しかも一つの種類だけでなく、様々な種類の種を蒔かれて、成長させられた。

 本文の28節に「そして」とある。イエス様はご自身の一つ一つの器官を覚えておられる。その視線をもって、私たちは互いのことをいたわり合うことが求められる。「そして」その上で、神さまは教会の中で人々を任命なさる。第一に使徒、次に預言者、それからと続く。教会の中で具体的な働き人が述べられる。これらは同じ御霊が働かれているので、どの働きに就くことが一番であると教えない。どの働きに就いたとしても、同じ神の働きであり、神が命じられたということにあって大切である。「こうした働きに私は召されていない」しかしそうではない。コリントの教会には多くの問題があった。パウロはコリントの教会員に宛てて、様々な問題点を指摘し、改めることを求める(6:11;6:19-20)。働きの一つ一つは、まず何よりも御霊に働かれ、自分自身が自分のものでない、神の聖霊の宮であるということにある。毎日毎日の生活で、神さまが私のことをあわれんでくださったということを覚えて、私をどうぞお受け入れいただけますようにと生きること(ローマ11:36)。こうした生活は、こうでなければならない、ということではない。私たちが秩序ある生活を送って、ひたすら主に奉仕できることにある(7:7)。教会に仕えるその基本は、神さまから罪を赦されて、新しいいのちを与えられて歩むものとされた、ということにある。神が中心の生活へと変えられていく。一方でそれぞれの賜物を持っているので、人それぞれに生き方がある。パウロは使徒として、大きな働きに従事した。パウロはどのように、使徒としての働きに従事していたか。生活上の必要や個人の生活上の必要を手放し、使徒でありながら、すべての人の奴隷のようにもなった(9章)。パウロが他に対して、自分自身の生活を勧めるためにしたのではなく、自らの賜物を自覚した結果、神さまと向き合いながら歩んだのであった。

 私たちはそれぞれ賜物を与えられている。それは何よりも、イエス・キリストによって罪を赦され、教会につなげられた。そして与えられた賜物が一体何か、「よりすぐれた賜物」を熱心に求めたい。それはさらにまさる道を歩むこととなる。互いに信仰の歩みを励まし合いながら、「よりすぐれた賜物」を求めて歩みたい。


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