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香柏

     愛はすべてを

高田伝道師

2016年7月31日
コリント人への手紙第一 13章1節〜7節

 13章は、「愛の章」とも呼ばれる。12章31節に続いて13章で「たとい」と始まる。ここから「たとい何々であっても」「愛がないなら」と繰り返される。パウロは3節かけて、どのような賜物を与えられたとしても、「愛がなければ」という。すると31節で言っている「よりすぐれた賜物」「さらにまさる道」は愛を含んでいる、愛そのものであろう。どうしてパウロは、最初から愛を教えなかったのだろうか。

 コリントの教会には多くの問題があった。パウロはコリントの教会員に宛てて、様々な問題点を指摘し、改めることを求めた。パウロはコリントの教会の現実に合わせて、話をしなければならなかった。コリントの教会員に、すでに愛を受けていることにまず気付かせ、そしてここ13章で愛について教える。すでに受けた愛。いつから愛を受けたのか。旧約聖書で、神様は人をご自身と同じかたちとしてお造りになった(創世記1:27)。向き合われたのでしょうか。神様は造られた人に対して必要を与え、自由と意志とを与えられた。しかし人は神様を裏切り、自己弁護し、罪ある者となった。罪人となり、神様から離れた者となった。それでも神様はなお人をあわれまれ、救いをご計画になった。救いはイスラエルの民から始められたが、イスラエルは神様に従い続けることができなかった。神さまからの積極的な呼びかけ。それに対する人の拒否。神さまは預言者たちを通し、人間の感情表現を用いて怒り、苦悩を表された。人が自分の罪を認め、悔い改めて神さまのもとにあって歩むことを求められた。このように神様の人間に対する愛は、旧約時代の一連の出来事を通して啓示された。そして神さまは、時至ってご自身の御子イエスさまを人間に遣わされ、人は御子を受け入れるように招かれた(テトス3:4-7)。

「愛」は、旧約聖書を通して神さまが貫かれ、そしてイエスさまを世に送られたことによって、明確なかたちとなった。4節、「愛は寛容」「愛は親切」とある。その後で、また「何々しない」と続く。「寛容」「親切」は、愛がどのような性質であるかを教える。6節は、愛は真理であるとしている。4・5節の「愛は何々しない」は、コリントの教会で実際にあったことなのではなかろうか。愛は寛容で親切で、真理を喜ぶとするならば、それは人に備わっているだろうか。私たち人は、この愛を持っているのか。愛は真理を喜ぶ存在である(6節)。これは人とともに立たれ、真理そのものの存在である。これまでの文脈から、御霊が愛であると考えられるだろう。御霊は人の罪ある振舞いを否定される。御霊は賜物を私たちに与えてくださると同時に、この愛のことを熱心に追い求めることをお求めになられる(Tヨハネ4:9-10)。愛とはすなわち、神の愛である。「すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍ぶ」とは、神の愛が私たちの罪科を悔い改めて、ご自身の愛の中に歩むことをこいねがっている。だからこそ、私たちはこの「よりすぐれた賜物」を熱心に、「さらにまさる道」にあって歩みを、ともどもに進めたい。


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