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香柏

     その時に知る

高田伝道師

2016年8月7日
コリント人への手紙第一 13章8節〜13節

 「愛」とは何であろうか。どういったことだろうか。「愛」はイエス様ご自身が求められている(ヨハネ13:34-35)。イエス様はお弟子の間で、互いを愛し合うようにと命じられ、私たちにも愛しあうようにと、命じられている。しかし本当に難しい。本日の8節以降の箇所は、完全にわかる時が来ることを教えている。そこで本日は、完全にわかる時について見ていきたい。

 8節、「愛は決して絶えることがない」とある。「愛」は真理である。愛は決して絶えることがないから永遠である。この世で永遠に属することがあるのか。永遠なるのは、神様だけである。神様は愛である。私たちが神様のご臨在に接する時、賜物の必要性はなくなる。完全なことの前には、私たちが知っていることは一部分でしかありえない。それでは「完全」とは何を指しているのだろうか。神様を「完全」という言葉で表すことは、人間的な価値観で神様を見てしまうことになる。ここでいう「完全」とは、神様のご計画が完成される時、終末を指していると理解されよう。11節をみると、人間の成長段階で話されている。「私が子どもであったとき」。パウロは、自らの経験から話を進める。ここで求められることは、子どもでいるようでは、キリストに達することはできないということであろう(エペソ4:13-15)。完全なこと、終末における完成のために、子どもであることをやめて、おとなとして成長していくことが促されている。12節では「今」と「その時」、鏡に映るのを見ることと、顔と顔とを合わせて見ることとが対比されている。当時の鏡は青銅などを磨いたものであった。映し出す像は、はっきりとした明確なものではなかった。「その時には顔と顔とを合わせて見る」とある。顔と顔とを合わせて見るように、神様のご計画が明確に理解できるようになる(出エジプト33:11)。

 「鏡にぼんやりと映るものをみていること」とは、一部分しか知らないことと同じである。「その時」は、一部分しか知らないものが、完全に知ることができるということである。私たちはすでに神様のご計画の中で、完全に知られている。いま私たちは、神様のご計画の一部分しか知らない者である。しかしご計画の中ですでに知られている。そして「その時」には、神様のご計画を完全に知ることが許されるのである。

 そして13節に、「こういうわけで」とある。何が「こういうわけで」なのだろうか。いつまでも残るものは何か。それは信仰と希望と愛である。その中でもっとも優れているのは「愛」である。すると8節にある、「愛は決して絶えることがない」ということと同じである。愛はもっとも優れているからこそ、決して絶えることはない。「愛」がどういったことなのか、わからないこともあるかもしれない。しかし「その時」には、(神様の愛を)完全に知るのである。すでに私たちは(神様に)完全に知られている。私たちは、神様が私たち一人一人を愛してくださっていることを覚えて、さらに信仰と希望に満たされて、「その時」まで歩みを進めて行きたい。


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