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香柏

     主はわが岩

高田伝道師

2016年8月14日
詩篇 18章1節〜3節

 ひととき神様について、詩篇の箇所からともに見ていきたい。1節に入る前に「指揮者のために?」とある。それは「表題」といい、詩篇18篇がどのような状況で書かれたのかが述べられている。そこに主のしもべダビデによる、とある。ダビデは神様に愛された王だった。しかし順調満帆ではなかった。ダビデは先代の王サウル王から、最初は可愛がられるが、後に王位を脅かす者として命をねらわれる。幾度も自分の王から命を狙われ、その度に窮地を脱した。ダビデは自分の力ですべての敵、特にサウル王に立ち向かったか。その表題にあるように、主がしもべである彼を守られたのであった。

 詩篇は「主」と私との間でのやりとりである。詩篇の著者はそれぞれ、主なる神様に心の内を述べる。この詩篇ではまず、神様がどのようなお方かを言い表している。ダビデは大変優れた王であり、イスラエル王国の礎を築いた。しかし彼は自分が優れているからと思っていない。彼の力の源泉は、主にある。数々の困難の時にも、主がともにいてくださった。彼はどのような困難にあっても、一人ではなかった。誰にも弱音を吐けない時も、怒りにうち震える時にも、神様はダビデとともにいてくださった。必要な時には、助言者や助け・預言者をその所々に置かれた。ダビデはこの方に全面的な信頼と感謝を寄せている。だからダビデは、自分の窮地を救う力は主なる神様にあると言う。ダビデは神様について具体的に述べる。「巌」と「岩」、「とりで」と「やぐら」同じような言葉が用いられている。「とりで」「やぐら」また「盾」「身を避けるわが岩」からは、危険な状況から守られる場所であるということがわかる。そこには必ず保護される、安全であるという確信がある。

 さて「岩」という言葉であるが、「巌」と「岩」とある。どう違うのか。まず必ず安全であるという場所である。この「岩」という言葉は、神様と同じように用いられている(Uサムエル23:3)。真実の神様を指している(申命記32:4)。次に「巌」であるが、日本語の意味としては、高い岩・ごつごつした岩・たいそう大きな岩・しっかりとしていて、少しぐらいのことではびくともしない堅固な状態を言っている。「いわお」というと、君が代でも用いられる。そこでは、もともと小さな石・細かい石が非常に長い年月を経て、大きな岩になることが歌われている。しかし詩篇で言っている「いわお」は、長い年月を指していない。小さい石が集まって成長するのではない。最初から巨大な岩である。この岩は、向き合う者にとっては「身を避けるわが岩」である。ダビデはこの岩なる方を「ほめたたえられる方」と言う。

 そして岩は、乾ききった荒野でイスラエルの民に水を与えもした(出エジプト17:6・詩篇78:15-16)。イエス様は、ご自身が岩として(Tコリント10:4)、その人の心の奥底から、生ける川の水が流れ出るようにしてくださる(ヨハネ7:37-38)。「主はわが岩」とは、揺るぎない岩であり、いのちを養う水を永遠に与えてくださる。感謝をもって歩みたい。


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