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香柏

     霊において知性においても

高田伝道師

2016年8月28日
コリント人への手紙第一 14章6節〜19節

 今朝の説教箇所でも「教会の徳を高める」ために、私たちには何が求められているのかを慎重に見極め、熱心に求めることを言っている。異言とは、自分の霊で神さまに向かって話し、自分以外には誰も理解できない特徴がある。神様から与えられた賜物だが、この異言を話す賜物には解き明かす人が必要である。6節では、神様から与えられたこの賜物を用いたとしても、理解できる言葉で話さなければ相手に伝わらない、理解を得ることはできないと教える。それは、楽器の音色やラッパの吹き鳴らし方で説明される。伝えたいことが伝わらなければ意味がない。明瞭に聞き分けられて、その音色で誰の耳にも同じことだとわからなければ、多くの人々を率いることはできない。「舌で明瞭なことば」御霊が自分に示されていることを、誰の耳にも間違いのないように理解してもらわなければ意味がないことを言っている。

 世界に多くの種類の言葉があること、その言葉の一つ一つの存在に、すべてに意味がある。言葉を通して、人は神様の真理に目が開かれていく。言葉には意味がある。その意味が理解できた時、異国人ではない。異国人であるかそうでないかは、言葉の意味を理解できるかどうかにかかっている。だから言葉でもって、明確に意味を伝えなければならないのである。言葉の意味を理解し合えれば、世界に非常に多くの種類の言葉があっても、言っていることは伝わる。御霊の賜物を熱心に求めること、異言を語る者がいるならば、それで満足するのではなく、それを教会の者に解き明かすことができるように、そして教会の徳を高めることに用いられるように祈ることが示される。パウロは異言を話すことができたからこそ、解き明かすことが必要なのだと言うことができた。14節、私の霊と知性とある。知性と訳されているこの言葉、他の箇所では心とも訳される。知性があるところは心にあるようだ。霊において知性においても祈ることと賛美することとが求められる。祈ること賛美することは、クリスチャンの歩みの中で基本である。教会の重要な働きでもある。それは自分と神様とだけでわかる言葉で祈ること、賛美することでは実を結ばない。教会の徳を高めることにつながらない。自分と神さまとだけの関係性ではなく、信仰を同じくする者がそばにいることが意識されている。お互いに祈り合うことや賛美する内容を分かち合い、理解できなければ、お互いに祈りの内容を確認して、「アーメン」と祈ることができない。神様から頂いた賜物であっても、その賜物が意味することを理解できる賜物で、理解できる言葉で伝えなければ、他の人の徳を高めることにはならない。パウロは異言を話すことができた。しかも誰よりも多くできた。彼はそのことを神様に感謝している。異言を話すことを個人的に感謝しているが、「教会では」異言よりも知性を用いて5つの言葉を話したいと言っている。5つの言葉というのはほんの少しでもはっきりとわかる言葉を「知性」をもって話したい、ということである。この知性とは、どういった心持ちであろうか(Tコリント2:16)。

 私たちは御霊に属する者へと変えられた。肉の者から御霊の者へと変えられ、御霊からそれぞれに賜物を与えられた。お互いに伝わる心を思って、更に歩みを進めていきたい。


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