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香柏

     喜びの叫び

高田伝道師

2016年9月18日
詩篇 126篇1節〜6節

 一人の人の歩みは、時代背景、生きてこられた環境、個人個人の特徴がある。人はそれぞれ異なっているが、同年代で共通する大きな出来事から、同じ時代を生きたという思いを共有もする。本日のみことば箇所は「私たち」と言っている。一人ではなく幾人もが自分と同じ気持ちであるという前提がある。

 詩篇は神さまに対して「歌」という形をとって、イスラエルがあった中東地域の自然や歴史が用いられ、神様がどのようなお方かということが述べられる。

 1節、「シオン」はエルサレム全体を表し、「神のすまい」「聖なる山」と呼ばれ、イスラエル人の敬愛の対象とされた。以前の繁栄を知っている者からすれば、没落してしまった現在はとても惨めであったろう。あの繁栄を元どおりにできるのは、人間ではなく神様であった。神様が繁栄を元どおりにされ、「私たちは夢を見ている者のよう」であった。2節、「そのとき」私たちの口は笑いで満たされ、舌は喜びの叫びで満たされる。私たちは、喜びで満ち溢れている。「私たちのために大いなることをなされ」るので、私たちは喜びで満ち溢れる。4節に「ネゲブの流れ」とある。「ネゲブ」は「乾燥した」という意味があり、エルサレムからみて、南の地帯が「ネゲブ」と呼ばれる。乾燥しており、あまり雨が降らない。雨季にざっと雨が降ると、瞬く間に濁流が生じる。今まで乾いていて何もないようなところに、瞬く間に流れが押し寄せる。そのように神様がなさる。私たちの繁栄が元どおりになる。まず5・6節で、喜びとは反対の状況にあっても、種を蒔く、種入れを抱えている。その種が幾十倍それ以上の計り知れない収穫をもたらしたので、喜び叫びながら刈り取り、束をかかえる。種や収穫とは一体何であろうか?1?4節で、私たちは神様が働きかけてくださることに期待をし、信じて待っていた。その通りにしてくださったことで夢を見ているようになり、喜びで満ち溢れた。何もない、乾いた土地のようなところにも、神さまは豊かな水を流される。どれほど厳しい中にあっても種を抱えて蒔くならば、神さまは必ずその種を成長させられて、報いてくださる。ここに「私たちの繁栄」がある。

 本日の聖書箇所で言っている「繁栄」は、神様が成し遂げてくださる。そしてその繁栄は、快適で豊かな生活というよりも、神さまが私たちを受け入れてくださる、私たちとともにいてくださるということにある。新訳聖書で何度も「種」について語られる。イエス様は種まきについて、このようなたとえ話を語られる(マタイ13:8・9、13:23)。この種は、イエス様ご自身でもある(ヨハネ12:24・25)。イエス・キリストが私たちの罪のために十字架に架かって死なれた。そして死に打ち勝たれた。この種は私たちに蒔かれている。この種は、私たちによって成長するのではない。成長させるのは神様である。種はイエス様を信じる信仰であり、その信仰の成長を神様が導かれ、やがての収穫をもたらしてくださる。その時の「喜び叫び」とは、どれほどであろうか。聖書のみことばから聞いてイエス様を受け入れ、頂いた種の成長を神様に期待して歩んでいきたい。


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