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香柏

     神の恵みによって

高田伝道師

2016年10月2日
コリント人への手紙第一 15章1節〜11節

 説教箇所は15章の中心になる話題の前に、確認したいことが述べられている。パウロはコリントの教会に対して、「兄弟たち」「今、あなたがたに福音を知らせましょう」と言っている。パウロは以前に宣べ伝えた福音について、その福音を受け入れ、その福音に立って歩んでいる者に対して、もう一度語ろうとする。福音はことばとして語られて、理解することができる。このことばは本当なのか、以前にあなたがたにこのパウロが神さまから託されて語った福音を、いまもう一度述べる。私たちの救いは、過去一回限りのことである。その救いは一度受けてからも、「保っている」ことが必要である。コリントの教会はどういった教会であったか。コリントの教会の中は「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」という状況であった(1:12-30)。また公然とした不品行があった(5章)。賜物のある人々がめいめいに振る舞っていた(14:1-11)。教会は同じ御霊によって「イエスは主です」(12:3)という告白にたっている。「最も大切なこと」それはパウロ自身も受けたこととして、パウロもこの福音をよく考えてしっかりと保とうとしていた一人であった。

 キリストは聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれた。ここで「聖書」とはどの箇所であったか。パウロは律法に精通していたイザヤ53:3-12)。パウロは旧約聖書の全体を通して、イエス様が私たちの罪、それは人間の罪のために死なれて、葬られて、よみがえられることを示している。また新約聖書はこう証言している(ヨハネ1:22)イエス様がおっしゃったことがお弟子たちに理解されたのは、よみがえられて「ケパに現れ、それから十二弟子にあらわれたこと」による。イエス様の復活は事実であり、疑いのないことであると言う。そしてパウロ自身がよくわかっていることとして、使徒と呼ばれる価値のない自分にまでイエス様は現れた。人間的な視点で見れば、イエス様が自分に現れることはない。「月足らずで生まれた」パウロは、イエス様に直接会っていない。突然、使徒たちの群れに予定どおりの胎児期を経ずに産み落とされた。予定どおり母親のお腹の中で成長したのでなく、そればかりかキリストの教会を迫害してきた。10節、「ところが」とある。自分の力ではなく、他人の助けでもなく、ただ「神の恵み」によって、パウロは今のパウロになった。聖書で書かれているキリストが、自分の罪のために死なれ、葬られ、三日目によみがえられた。それが理解できたのは、パウロの力ではなかった。自分にはできないことを神様がなされた。

パウロは今の自分がほかの使徒たちよりも多く働いていると、自覚している。神の恵みによって、ただそのことによって、パウロは福音のことばを受け入れる者へと変えられた。福音のことばを受け入れる者へと変えられた時、彼は今の私に変えられた(Uコリント5:17-18)。私たちに罪があることは、創世記から示されており、その罪ある者のために神様がどのように臨んでくださったのかということが、旧約聖書に示されている。イエス様が成し遂げてくださったことは、神様の御心であった。それは神さまが一方的に私たちを愛し、ただただ恵みによって福音のことばを受け入れることができるように変えてくださった。福音のことばを受け入れることができるのは、神の恵みである。自分の力や意志でできるのではない。私たちはイエス様を見たから信じたのでなく、見ずに信じている。それは福音のことばが、確かに本当であると信じることに導かれたからである。福音のことばを私たちもまた、思い返して歩みを進めたい。


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