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香柏

     私の誇りにかけて

高田伝道師

2016年9月18日
コリント人への手紙第一 15章23節〜31節

 本日の説教箇所は「しかし」と始める。イエス様が地上に再び来られる時、それは順序があるということを教える。「終わり」についても順番に進んでいく。すべてには神様の意志がある。いつその時が行われるのか、どれだけの期間で地上の権威がイエス様に取って変わられるのかわからない。しかしここに示されているように、事は必ず神様の時で行われる。24節「キリストがあらゆる支配、あらゆる権威、権力を滅ぼす」とある。それはイエス様の支配や権威、権力を認めず、むしろイエス様に逆らい否定するので滅ぼされる。その上でイエス様は、国を父なる神さまにお渡しになるとある。その国とは、イエス様による永遠の御国である。私たちの救い主であるイエス様が支配なさるところに、私たちは入れられる。「キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められている」とある。イエス様はすでにご自身を、人類の罪のために永遠のいけにえとしてささげられた。その後の順序は、すべての敵がイエス様の足元に置かれる。罪の結果である死は、最後にほろぼされる(ヘブル10:12・13)。神様の時にあってそのようになされる。

 27節「彼は万物をその足の下に従わせた」イエス様は神の御子として地上に来られ(ルカ1:35)、神様はイエス様に万物を従うようになさる。そしてすべての敵が滅ぼされた時、万物の造り主が万物を治められる。こうしたことを踏まえ、29節から「死者のゆえのバプテスマ」を受ける人たちのことが話される。死んでしまっている人のために、代理で浸礼を受けることを言っているようだ。代理で洗礼を受けようとするような者であっても、それはキリストの再臨の時に復活があるということを信じているからそうしようとする。

 30節、「私たちもいつも」という言い方は、誰かがいつも危険にさらされていて、「私たちも」ということであろう。パウロの宣教旅行は困難を極めた(Uコリント11:23-27)。そのパウロは、自分だけがいつも危険にさらされていると言っていない。イエス様はそれよりも危険にさらされておられた。お生まれになった時からいのちを狙われ(マタイ2章)、公生涯に入られる前には、四十日間の悪魔の試みにあわれた(ルカ4章)。宣教旅行では、パリサイ人や律法学者がいつも敵意をもっていた。そして十二弟子の一人に売られ、すべての弟子に見捨てられて、手続的な裁判で死刑を宣告された。ひとりの罪人の身代わりにされ、ご自身を磔にする十字架を負わされ、磔になる道中で罵られ、あざけられ、つばきをかけられ、打ち叩かれた。磔になる罪人の中で、ご自身は罪がないのに十字架に架けられ、そして天の父なる神様にご自身の霊をゆだねられた。

 31節、別訳聖書では「兄弟たち、わたしたちの主キリスト・イエスと一致してわたしがもっている、あなた方についての誇りにかけて断言しますが、日々わたしは死んでいるのです。」と訳す。私たちはイエス様にあって、一致する。パウロは、主を誇っている。たとえ毎日が死の連続のようであっても、兄弟姉妹とイエス様にあって一致しているということに誇りをもっている。それはパウロがイエス様から託された使命を果たし、自分を用いておられる方を誇っている(Uコリント10:17-18)。私たちも自分を用いておられる方をともに誇って歩みを進めたい。


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