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香柏

     しかし神は

高田伝道師

2016年10月30日/宗教改革記念礼拝
コリント人への手紙第一 15章32節〜49節

 本日は宗教改革を覚える日。ローマ・カトリック教会のあり方に対して、ルターは95個条の論題を教会に提出した。彼が登場することによって、大きく歴史が動くこととなった。彼はキリストを信じる信仰のみが、人を神の前に義とすることができるのだという確信を持つに至っていた(ローマ1:17)。「信仰と聖書のみ」によって、義とされるのである。それは救いを求める罪人にとって、聖書が唯一の権威であるということを、公言したのであった。

 本日の箇所でも、これまでに見てきたことが幾つも出てきている。まず死者のよみがえり、次に死者のよみがえりが、御霊に属するからだによみがえらされることが触れられる。「アダム」も、少し前の箇所で出てきた。32節で、人間的な動機や良い習慣でない日々を過ごさないようにという。聖書は、聖書は何かということを教えてくれる(Uテモテ3:16)。ところが死者のよみがえり、どのような体でこちらのところへ来るのか、ということに話が反れる。「愚かな人だ」厳しい言い方。主のみこころは何であるかを、よく悟ること(エペソ5:15-17)。私たちが蒔くものと神さまが蒔かれるものとが、比べられる。私たちが蒔く種は、やがて朽ち果ててしまう。「しかし神は」ご自身のみこころでそれぞれの種にそれぞれのからだをお与えになる。種が成長するのは、神様がみこころでそれぞれの種に、それぞれのからだをお与えになったからである。みこころはすでに決められている。すべてのことは、神様のご計画の通りに進められていく。天地万物をお造りになった方は、肉としてあらゆる種類をお造りになった。肉だけでなく、地上のいかなる物や異なったものについても触れる。宇宙についても触れる。42節、種まきに話が返ってくる。種は「朽ちる、卑しい、弱い」もので蒔かれ、「朽ちないもの、栄光あるもの、御霊に属するからだ」へとよみがえらされる。御霊に属するからだによみがえらされる。神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになられる。それは血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされる、というところへ至っている。御霊のからだについて、45節以降に話が進められる。45節「聖書に」とある。神様のみこころとして、御霊に属するからだによみがえらせようとなさることは、何によって明らかであるのか。それは聖書である。天地万物の造り主である神様が、人をお造りになった。アダムは自分で生きた者となったのではなく、神様によって生きた者となった(創世記2:7)。神様によって生きた者となったアダム。人が死ぬこととなったのは、アダムが罪を犯したからであった(15:21・ローマ5:12)。最後のアダムは、生かす御霊となった。最後のアダムと示されているのが、イエス・キリストである(ローマ5:17-18)。イエス様は御霊のものとして、後から来られた。イエス様は神様のみこころをすべて成し遂げられ、御霊なる神様はお弟子たちを用いて宣教し、それぞれのお弟子の特徴を用いて、世にみことばを送られた。

 ルターは「信仰と聖書のみ」によって、義とされると言った。聖書は朽ちる者である私たちを、神様のみこころとして、御霊に属するからだによみがえらせようとなさる、イエス・キリストはそのためにこの世に送られたのだということを、私たちに教えている。「神はみこころに従って」予め、私たちが信じる前から、ご計画になっておられた。それは旧約聖書の時から示され、預言者たちが示し続けていた救い主が、世に送られたのであった。神様はみこころに従って、いのちを育んでくださる。そのいのちは肉体でなく、朽ちない御霊のからだとして、よみがえらせようとしてくださる。聖書は全体を通して、そのことを私たちに教え、歩みを具体的に整えていくようにと語りかけている。


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