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香柏

     ラッパが鳴ると

高田伝道師

2016年11月 6日
コリント人への手紙第一 15章50節〜58節

ラッパが鳴らされる時、それは何かの合図である。本日のラッパは、終わりのラッパである。この世が終わる時、たちまち、一瞬のうちに変えられる。ラッパの響きとともに、神さまのご意志がなされる(Tテサロニケ4:16)。「相続」「変えられる」「着る」という言葉が用いられる。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられてしまう。

 「兄弟たちよ」同じ神様を信じている者として。神の国、朽ちないものを相続するということはどういうことであろうか。私たちには神の国、朽ちないものになる要素はない。相続には、その相続権を持っていなければならない。そこで「聞きなさい」と注意が呼びかけられる。奥義を告げる。イエス様はたとえをお話しになられた。ここでは奥義を知らせると言っている。イエス様がどういったお方であるかを知っている、あなたがたに告げるのだという。「私たちはみな」パウロですら同列。奥義を知らない者にとっては、「変えられる」ということが伏せられる。ラッパは、たちまちに一瞬のうちに変えてしまう。死者は朽ちないものによみがえる。必ず朽ちないもの、必ず不死を着なければならない。イエス様を信じた者は、イエス様を自分の身に着た(ガラテヤ3:26・27)。私たちはイエス・キリストを着ていることで、死者となっていても朽ちないものに変えられる。「死は勝利にのまれた」永久に死を滅ぼすお方が、ご自分の民のそしりを全地の上から除かれる日、それは私たちが待ち望んだ神さまが御救いを完全になさる時である(イザヤ書25:8・9)。

 死のとげは罪、すなわち肉体の死は、人に罪が入ったことによる。この罪は、律法を用いても力を持つ。罪がいかに律法を用いて死をもたらすのか(ローマ7:12-13)。律法が聖なるもの、戒めも聖である。しかし罪は、この良いもので死をもたらそうとまでする。罪は死のとげとして、絶大な効果を持っている。神様からくるものですら自分の力として用いようとする。私たちは罪の前になす術もなく、ただ血肉のからだのものとして、死にゆくのみに見える。

 しかし、そのような状況にあっても、「神に感謝すべき」。「神に感謝すべき」「勝利を与えてくださる」ということからもわかるように、神様から与えられた恵みがある。私たちにはできないことを神さまが与えてくださった、なさしめてくださった。死のとげとしてある罪は、イエス様によってのまれてしまった。しかし私たちは死にゆく。そしてイエス・キリストを着ている者は、いつの日にか鳴り渡る終わりのラッパを合図としてたちまち、一瞬のうちに変えられる。これはすでにイエス様が世の罪に勝利なさっていることが、世の終わりの時にみことばの通りに実現することである。

 それはいつの頃か。イエス様を主として崇めている者は、ともにイエス様に愛されている者同士、この方を世に送られ、私の救い主として信じる神様を、常に覚えて歩むことが求められる。私たちの日々の歩みには、様々な労苦がある。しかしその労苦は、自分のためにするものではなく、救い主のなしてくださったことを覚えてのわざに励むならば、自分たちにとっては無駄であっても主にあって無駄ではない。なぜならば、イエス様が世に来られ、世の罪に勝たれ、私たちの罪を贖ってくださったことに対する応答なのであるから。そしてこの方が終わりのラッパ鳴り渡る時、すべてが明らかに変えられるという希望と確信が、私たちには与えられている。


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