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    教会関係のこれからの予定をお知らせします。これまでのニュースも保管しています。

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9月  礼拝説教の予定のお知らせ


   4日  「確かに神は」
  11日  「適切に秩序をもって」
  18日  「喜びの叫び」(敬老伝道礼拝)
  25日   説教題未定(召天者記念礼拝)



8月  礼拝説教の予定のお知らせ


   7日  「その時に知る」
  14日  「主はわが岩」(伝道礼拝)
  21日  「教会の徳」
  28日  「霊において知性において」



7月  礼拝説教の予定のお知らせ


   3日  「御霊は同じ御霊」
  10日  「偽ることのない神」(伝道礼拝)
  17日  「もし一つの部分が」
  24日  「よりすぐれた賜物を」
  31日  「愛はすべてを」



5月  教会学校のお知らせ

   1日  味方になって → 聖餐式
   8日  真珠より大切 → 母の日・家族の日・花の日
  15日  教会のはじまり → ペンテコステ礼拝
  22日  私は悪人です →シリーズ:こんな人になりたい(1)
  29日  神につながる

新しいクラスや学校には、慣れましたか。教会では、5月ももりだくさんの企画です。これらのタイトルは、小学生向けの礼拝でのお話ですが、同じ聖書の箇所から、中学生や高校生・大学生へもお話があります。三階の会堂に加わってください。小学生以下のお友だちも、最初は三階に上がっていてください。讃美歌を歌ったりしたあと、途中から二階に降りて子どもの礼拝を始めます。


5/22(日)  こんな罪人の私を憐れんでください

実は以前、何度か続いたシリーズ「こんな人になりたい」が、装いを新たに始まることになりました。森山牧師の思い描く、信仰の目標あるいは模範のような姿を語る説教です。もちろんそれは、個人的な趣味というのではなく、聖書が私たちに示している、人間のあるべき姿であると言えるでしょう。毎月一度展開するシリーズですが、初回は、自らの信仰生活を誇る人物の陰で、自分は罪人に過ぎないと顔も上げて祈る人のお話です。牧師の説教にしばしば登場するエピソードでもあり、香椎バプテスト教会が描くひとつの絵のようなものであるかもしれません。言葉で「謙遜」などと言うのは簡単ですが、なかなかどうして、人間そんなに簡単にそうなれるものではありません。ただ、私たちは、謙遜の限りを尽くした方を知っています。ペンテコステを経て始まった教会の歩みの最初に相応しいメッセージを期待しましょう。
 この日の昼の礼拝は、手話礼拝です。「神がキリストにおいて……」と題し、牧師がエペソ4:25〜32より手話にて説教致します。日本語による通訳が付きます。手話礼拝は、午後1:30から始まりますので開始時刻にご注意ください。


5/29(日)  神の協力者

パウロが書いた手紙のいくつかが現在も聖書という形で遺っているわけですが、教理的な価値の高いローマ書とともに、かなり長いものが、しかも二通同じ宛名で記されているという、このコリント教会へ向けての手紙は、パウロの知的な面と情緒的な面とが入り混じり、味わい深いものとなっています。コリント教会は、当時の大都会の洗練された文化の中の教会でした。しかしそれだけにまた、うまくいかないところもたくさんあったようです。今回、教会の中で派閥ができ、分裂しそうになっていると聞いたパウロが、それではいけない、と正すような文脈で書かれた部分を取り上げることにしています。どうしても人を見てしまう私たちですが、いったいキリストを信じる者とはどういう立場なのか、教会がどのようにつくられ、私たちがそのどこにいるのか、聖書から聞くようにしたいと思います。
 この日の昼の礼拝は、「しかし、勇敢で」と題し、ヨハネ16:29〜33より田伝道師が説教致します。


6/5(日)  聖餐礼拝

毎月第一主日は、基本的に聖餐礼拝です。6月5日の礼拝説教は「主の御腕は誰に現れたか」という題で、イザヤ書53章1〜12節から森山牧師により取り次がれます。いわゆる「苦難の僕」と呼ばれる箇所であり、ユダヤ文化からすれば、歴史の中で痛めつけられてきたイスラエルの歩みを映す姿だとも見られますが、キリスト教側からは、例外なく、これはメシヤ・キリストを指すものと理解されています。神の力は、小さいもの・弱いもの・低いものの中に現れた、というのがキリスト教の決定的に重要なところです。これを卑屈だと批判する批評家もいますが、ひとの生き方がそんなに強いものばかりであるはずもなく、人は最終的には無力で価値無いものであるという自覚をする生き物ではないかと思えます。そうした人々の弱さをすべて罰として引き受けた姿、それがキリスト教の根底にあります。それはまた、自分が正しいと主張する強者とは正反対の姿でもあります。自分を大きくするもの、自分は常に正しい者だと信じてやまないものは、キリストとは対極にいることになるでしょう。聖餐を前に、私たちはどういう思いで神の前に出るのか、それぞれが噛みしめて神を礼拝するものではないかと思うのです。
 この日の昼の礼拝は、「神は混乱の神ではなく、平和の神」と題して、牧師がコリント書第一14:1〜39より説教致します。


6/12(日)  伝道礼拝「神は霊です」

6月の第二主日は、聖書入門という意味で、田伝道師が、聖書の中の分かりにくいところをさっぱりと説き明かします。今回のテーマにある言葉は「霊」。オカルトの話ではありません。時に私たちは「心」などと言いますが、ただの心でもない、しかし心に響く何かを、私たちは私たちの外から、とくに上から覚えることがあるように思います。それと、神を礼拝するということが、どう結びつくのか。登場するのは、サマリヤの女。この一言の中に、どれほどの歴史と諍いと憎しみとがこめられているか、当時当地の人々には大きな意味があったのです。今でも、民族問題などで憎しみの連鎖がありますが、それと同様です。しかし新約聖書は、このことばの中に、和解と救いをもたらしました。それはまた、私たちと神との関係についても、同じものを恵み与えてくださったということを意味します。「霊」という言葉のもつ意味は「風」であり「息」でもあります。行き詰まった心や状況に、新たな風を送り、生き返る息を得られるような、さわやかなメッセージをご期待ください。
 この日の昼の礼拝は、「あの栄光で輝かせてください」と題して、田伝道師がヨハネ17:1〜5より説教致します。


6/19(日)  イエスさま、私を思い出してください

シリーズ「こんな人になりたい」2016年バージョンの第二弾です。ルカの福音書における十字架の場面に特有の物語。3人の死刑囚がいたことはマタイの福音書にも描かれていますが、そのうちの1人が死刑執行のその時であっても救いの中に入っていくという話は、ルカだけが記しています。実に、この世の死の間際までもイエスは救いの手を伸ばしてくださるという点で、いろいろな意味で慰めにもなっているのですが、あいにく、それを期待して、死の寸前まで信じなくてもよいのだ、などという横柄な構え方を推奨しているわけではなく、私たちは心してこの物語を自分のこととして味わわなければなりません。しかし、福音であることは確かです。たんに時間的な問題だけではなく、神の救いとはどういうものであるのか、私たちは何を信じ何をするべきなのか、改めてこの場面について深く考えるひとときを持ちたいと思います。
 15:00からの昼の礼拝では、「小事に忠実な人」と題してルカ16:1〜13から牧師が説教をします。新約聖書の譬えの中で最も理解が難しいとされる箇所です。お聞き逃しなく。


6/26(日)  働きの真価

三びきのこぶたのお話があります。たぶん、聖書のこの箇所を基に組み立てられたと思われます。兄弟のこぶたが、それぞれに家を建てるのですが、弱い材質でこしらえた家は、オオカミに簡単にやられてしまいます。危うくそこから逃げたこぶたは別の家に逃れますが、最後のレンガの家は負けませんでした。それぞれ助かってよかったのですが、それというのも、その地盤というものが前提されていた、というのがこの聖書の指摘です。建物の基盤がしっかりしているからこそ、たとえは建物が弱くても、なんとか助かる道が用意されていたことになります。教会ではよく「岩なるキリスト」という言い方をします。キリストを岩として、私たちがそこに立っているならば、流されたりよろめいたりしない、というのです。しかも聖書は、その建物を、「神の神殿」だといいます。私たち一人ひとりが、神の神殿であるというのです。なんという恵みでしょうか。私たちは自らを吟味する時も必要です。本格的な夏を迎えるにあたり、致命的に弱いところがないか、点検させて戴くことにしましょう。
 午後3時からの昼の礼拝では「世のためにではなく」と題して、ヨハネ17:6〜10より田伝道師よりメッセージがなされます。手話礼拝ですので司会者は手話を用いますが、通訳がありますので、ろう者も聴者も同様に加わることができます。



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