救いの証し
どのようにしてキリスト者となったか」
福田 敬三

元のページに戻り

どのようにして、私がイエス・キリストを私の救い主として信じ受け入れるに至ったかを証言いたします。

私がイエス・キリストを信じ受け入れたのは、1985612(水曜日) 朝。といっても深夜零時半ころでした。この日の1年と4ヶ月ほど前に、キリスト教会の門を初めてたたいたのでした。それは、米国のインディアナ州にあるグレース・バプテストテンプル (Grace Baptist Temple, Bloomington IN) というバプテスト・バイブル・フェロシップの諸教会と交わりのある教会でした。

その頃、私は米国の大学に留学し、それまでのプラントの自動制御システムの仕事から経営コンサルタント、または投資銀行で投資の戦略立てをする、そのような仕事をしたいと、そのための勉強をしていました。大金持ちには成れないにしても小金持ちぐらいには成りたいと、今は昔、アメリカン・ドリームを描きながら、米国に渡り、勉強して2年が過ぎたころでした。

一生懸命勉強をしました。未だかつて、これほど勉強したことはないというほどでした。成績も悪くはありませんでした。日本でもそれなりに知られた経営管理学の大学院で勉強をし、「卒業したら、そのころで年棒1000万円という大学院に行く。行けなかったらさっさと日本に帰る。」と、背水の陣をしき勉強をしていました。

日本では国立工専で電気工学を学び、大学は出ていませんでしたので、すぐに経営大学院にいけず、米国のインディアナ大学 (Indiana University, Bloomington IN)に編入し、大学院入学を目指して良い成績を得るためにがんばりました。そして、念願とするそれらの大学院のうち、シカゴ大学 (University of Chicago Graduate School of Business)マサチューセッツ工科大学 (Massachusetts Institute of Technology Sloan School of Management) などから合格をもらいました。

「自分の人生は自分で切り拓く。掴み取る」という意気込みでしたから、そのころ、クリスチャンが好きになれなかったです。いつも「神様、神様」と他力本願で、自分の力でがんばろうとしない、そのような弱い人間と見えたクリスチャンたちを、どうしても好きになれなかった自分でした。

(しかし今は、人の目には見えないお方ですが創造者なる神に、すべてを委ねて生きるのは当然だ。見えないお方にそこまで委ねて生きることができる、その信仰というものはすごいものだと思っています)

そんな私がなぜ、教会の門をたたいたかというと、実はたたきたくはなかったのですが、一人のアメリカ人のクリスチャン、ウェイン・ダンドリッジ兄 (Wayne Dandridge) に誘われたのがきっかけでした。

留学2年が過ぎ、これから先、大学院も問題なく進めそうという時、ふと、私の心によぎるある思いがありました。それは、「大学院を卒業し、希望とする経営コンサルタントか、ファンド・マネジメントをするようになった時、様々な場面で、責任ある意思決定をしなければならないことが多くあるだろう。そういう時、迷い・不安というものを覚えながらであったら問題だ。確かに、様々な事柄を検討し、結論を出していくわけだが、そのプロセスで不安を覚えないで、確信を持って意思決定するには、自分の精神的な面のコントロールが必要となってくるだろう。その不安を克服する術を持っていないのは問題ではないか」と思い始めたわけです。

それまで、不安を一度も感じなかったということはではなかったですが、その時ほど、不安をコントロールするテクニーク、精神の安定を勝ち取る方法を必要としました。

マネジメントの「栄光と挫折」とか「挫折して窓から飛び降りる」などなど、報酬も大きいが失敗は許されない世界、ということは十分知っていたわけです。

毎晩12時ごろまで勉強し、朝は7時ごろに食事をして授業に行くというような生活の中、成績や生活の何かの問題で悩んでいたということはありませんでした。人目には順風満帆のように見えていたかもしれませんが、私の心の中には、将来への備えとしての問題を覚えていたわけです。

心の底の片隅で、「不安の根源がわかれば、その不安をコントロールできる?」と、考えたりもしていたのです。心理学の授業も取りました。図書館に行き、大脳生理学などの本なども読んでも見ました。教授とも話をしたりもしましたが、その「不安の根源のわからない不安」が付きまとっていました。

その頃、それまでは見るからに弱弱しいそうで、見るからにクリスチャンぽい彼、ダンドリッジ兄が、いつもは挨拶程度の会話だけだった彼でしたが、その弱弱しそうな彼の内に、私にない「平安というもの。何物にも揺り動かされることのなさそうな平安」を見たのでした。

寮の同じ14階にいた彼でしたが、髭を剃りながら聞いたわけです。「なぜ、あなたはいつもそんなに物静かで平安いっぱいなんだ」と。彼は応えました。彼は「その理由はわからない。が、私はクリスチャン。次の日曜日、教会に行かないか」ときたわけです。

いつもでしたら Thank you, but no thank you (結構です)” と言ったでしょうが、心に考えるものがあったので、「彼のその平安を保つ秘訣が、教会にあるのかも !? その秘訣は何かを知り、それを盗むためだったら教会でも行っても良いぞ」と心を変えて、「余り気乗りはしないが行こう」と応えたわけです。

しかし、お誘いの最初の日曜日は、私が二日酔いで行きませんでした。強引ではないのですが誘われるものですから、何度目かには教会には行きました。が、「ミイラ取りがミイラになったらたまらない」という思いがありましたから、「さあ、立って聖歌500番を賛美しましょう」などと言われると、立たないと変に見えるので立ちはしましたが、決して歌うことはなく100番あたりを開いているというのがそのころでした。

月曜から金曜日までしっかり勉強をし、金曜日の夜とか、土曜日の夜などにお酒を飲みに出て行き、帰って給水機の水をがぶ飲みして二日酔いを防ぐ、そんな日々でした。そうしないと、プッツンと切れそうな毎日でした。「二日酔いで行けない」と、誘いに来た彼に応えることもよくありました。そんなことが、最初の34ヶ月にはあったわけです。彼はよく忍耐強く誘ってくれました。私も、その精神安定のテクニークを何とか、という気持ちもあったので、欠席は多かったですが行っていました。半年もそんなことがあり、その間、教会員の老婦人から頂いた英語の聖書を自分でも読み始め、「不安の根源とは何か」も薄々とわかってきました。しかし、それを認めることはできませんでしたが。

1年が経った頃、彼は卒業してカリフォルニアに帰っていきました。私はといえば、寮からアパートに移りましたので、車が必要になりました。それまでは彼の車で教会に行っていたのですが、教会に行くためにも必要でしたので、車を買いました。結構真面目な、クリスチャンぽいノンクリスチャンでした。朝のみならず夕べの礼拝にも行きました。

そのころまでには、「不安の根源、それは、私の罪だ」ということはわかりました。

自分の存在の基盤、自分はなぜ、この地上に生を受けたのか。私の人生の目的が、単に小金持ちになるということであったなら、それが達成された後はどうなるのか?

また、何かの理由で、目的が達成できなかったら、自分の人生は生きる意味がなくなるのか?

なぜ生きているのかの問いに確固たる確信をもって答えられない自分であるから、不安があるのだ。それは、経済的に成功しても解決しない、人間存在の根源的な問い掛けではないか。あのアインシュタインも言った、この世界がどのようにしてできたのか。決して進化論で言うところの偶然ということは有り得ない。この世界をこのように存在せしめた何かしらの力、動因がなければ有り得ない。それをもし神と呼ぶなら、私はそれにひれ伏す」と。

この天地とその内に満ちるすべての創造者であり、いのちの創造者なる神を認めないと、自分の存在の目的、意味、価値も、そして人生の目的もわからなくなってしまうこと。お金が成功のバロメータと思い、「自分の価値は年棒で決まり、失敗すれば、価値は無くなる」という、「命に対する、人生に対する、神なしのそのような見方そのものが罪だ」ということ。そして、「創造者なる神を信じることなくして真の平安はない不安の根源はまさに、私の罪」ということ。それらが判りました。

救われる前に私は結構聖書を読んでいた、クリスチャンぽいノンクリスチャンでした。しかし、だからと言って、「神を信じます。イエス・キリストの十字架は私の罪の身代わり。キリストは死に勝利して復活されたことを信じる」というような告白はできませんでした。「もう少し、クリスチャンらしくなったら、もう少し確信したら告白しよう。」と、内面的に葛藤のある日々であったと思います。

そのころよくみた夢があります。その夢では、私の前に、私の親しいクリスチャンたちが楽しそうにして立っているのです。私もその中に入ればいいのに、入れない自分がありました。私の足元には、彼らと私を隔てる一本の線がありました。それは、はるかの右からはるかの左に引かれた線で、ひとまたぎすれば超えれる線でした。ひとまたぎするすること、すなわち主イエス・キリストを信じ受け入れる決断をすることでしたが、どうしても越えられず、決断のできない苦しさがありました。そういう夢でした。

そして、その日、1985612日が来たわけです。その真夜中12時過ぎ、夢を見ていました。その頃よく見ていたあの夢でした。しかし、「あの線」が、私の後にあったのです。

それが何を意味しているのかわかりません。越えることのできなかったその線が、私の後にあり、私は親愛なる兄弟姉妹と同じ側に立っていたわけです。そこで、目がさめ、ガバッと起き上がり、そして聖書を読み始めました。好きなローマ書を開き、線を引いた一つ一つの箇所が、その活字が紙から飛び上がってくるように、目に飛び込んできました。

聖書を読みながら「そうだ、そうだ。私のためだった」と、一つ一つ納得しながら、受け留めながら、読み通しました。そして、イエス・キリストは私の救い主であり、罪人の私のために十字架にかかられ死なれたこと、死なれましたが死に勝利して復活されたこと、私は罪の赦しと永遠の命をいただき、私も同じように死に勝利して生きると、そのことの確信が与えられました。罪と死の問題が解決された、のです。

新約聖書 テトス 3:5 – 8 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました 3:6 神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。 3:7 それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。 3:8 これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

その日は水曜日で、祈祷会のある日でした。その日、私が教会に着くのが一番でした。証しと祈りの要請の時間に、「私はイエス・キリストを私の救い主として信じ受け入れます」と、皆の前で告白したのです。

旧約聖書 伝道者の書 12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。

神は真実なお方だ、というのが、信仰生活を続けている今の実感です。

新約聖書 ローマ 5:6 -8 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。5:7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 5:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

 

追記:

その後の私の人生には、少々のことがありました。始めは嫌々ながらでしたが、しかし、神の私に対する御心に従って生きるべきことを受け留めました。

戦いはありましたが、しかし、神の私に対する意に反して生き、たとえこの地上の富に富んだとしても、それは虚しい。ならば、と主キリスト・イエスに忠実に生きようと歩み始めて、今に至っています。

これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。(新約聖書 テトス3:8)

 
元のページに戻り